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海外旅行

2017年1月22日 (日)

台湾、平和と歴史、交流の旅

台湾各地をまわり日本の統治時代の歴史を学び、現代の変化にも

触れる5日間の旅でした。

●台湾中部のダム湖に隣接して設置されている文武廟

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●山と湖面が水墨画のような景色を織りなす景勝地日月潭

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●霧社抗日記念公園で霧社事件の現場を見学

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霧社原住民抗日群像のモニュメント

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●台中にて、元少年工の何(か)さんと交流(写真中央)

何さんは、戦中日本で戦闘機工場に徴用され台湾に帰国された方

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●総統府(旧台湾総督府)、2~3階は現台湾政権のオフィースに

使われているとのことです。

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総統府、朝9時のオープン前から大勢の人が見学に詰めかけていました。

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総統府の中庭(撮影禁止外)

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●婦女救援基金会の拠点となっているカフェ。

貧しさのために女児が売春に追いやられる人身売買の防止をめざして

1987年に設立された組織です。

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カフェの2階の展示室コーナーの一角には青春を奪われた

「慰安婦」の人たちの写真が掲示されていました。

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研究員の方より運動の意義や課題についてお聞きしました。

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●二二八紀念館。太平洋戦争終了後、台湾が中華民国に返還された

後に起こった二二八事件についての紀念館(台北)。

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日本語ボランティアの方より、国民党政府に対する住民暴動に対して

国民党軍は台湾住民の虐殺を開始し、2万8千もの住民が犠牲に

なったといわれています。

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●天燈(ランタン)上げで有名な山間の町十分へ

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天燈に願いごとを書いて青空に向かって放ちます。

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私は、「安保法制廃止、立憲主義回復、個人の尊重を実現しよう!」

と筆書きし、ランタンを打ち上げました。

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●台湾のナイアガラと呼ばれている滝を見学しました。

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●ノスタルジックな九份の街並み

「千と千尋の神隠し」のモデルとなったといわれています。

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九份の街並みは日本のアメ横を思わせます。

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●金爪石(キンカセキ)は、台湾北部台北県瑞芳鎮にある町です。

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日本統治時代から続いた金山の跡地。

金爪石鉱山はかつては東北アジア第一の金山として栄えました。

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日本庭園の家屋敷

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●台湾料理は、安くて・おいしかったです。

カニの「から揚げ」のようなものが売られていました。

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100元は日本円で約400円。街中で食べれば日本の半額?

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台北の街中には、あちこちにセブンイレブンの看板があり、

日本同様の景色が広がっていました。

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看板には、トイレ、ATM,食事が案内されていました。

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2016年9月 9日 (金)

中国東北部を訪ねる

8月17日~22日まで瀋陽・哈爾浜・大連などを訪問見学してきました。

撫順平頂山惨案記念館

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撫順戦犯管理所       

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9.18事変歴史博物館

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高速鉄道(新幹線)の時代に入り快適な旅が楽しめます。            

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時速305㎞で走っていました。

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オフィースビルやアパートが林立する哈爾浜(ハルビン)の街

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侵華日軍731部隊罪証陳列館

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731部隊の建物は証拠隠滅のため破壊されました。

一部残された凍防実験室

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哈爾浜駅に設置されている安重根記念館

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日本人残留孤児養父母親睦会の方々と交流をしました。

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大連港は静かにたたずんでいました。

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2016年1月 5日 (火)

南京・上海アラカルト

高架路から見た上海のオフィースビルImg_1395

上海南浦大橋

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後景中央は上海環球金融中心、94階423m。その右手の栓抜き型の森ビル。

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上海中心市街地

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南京駅・ホームに入ってきた高速列車

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南京駅のトイレは広くきれいで衛生的。右手前には飲水処見える。

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中国では生水はそのまま飲むことはできない。乾燥する中国で、駅に

置かれた無料の飲水処(温水器)のサービスは助かることだろう。

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あちこちで見かけたリサイクルボックス。

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無数の電話ボックスを見かけたが利用する人を見かけることはなかっ

た。携帯、スマートホーンの普及に伴って駆逐されてしまうのだろうか?

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「公安」は、日本でいえば派出所。

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プラタナスの街路樹。春には緑のトンネルになるだろう。

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一階には個人商店が軒を連ねている。

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イギリスのスーパー「TESKO」が進出している。

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LAWSON も見かけた。

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ホテルの早朝に販売会があったとかで、中国人の人たちが土産物を

抱えて出てきた。

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夫子廟で子どもたちは何を願かけたのだろうか?

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紹興公園には、健康器具が置かれている。

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紹興公園の入り口左にある喫茶で働く山田さん(左:大阪出身)

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「光盤行動」は、食べられる分だけ注文し、残さないようしよう。

「剰下釣打包」は、残った場合は包んで持ち帰ろう・・・の意味。

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街角のミニ公園でダンスをする人々。

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魯迅公園では、朝早くから多くの人たちがダンスや気功、習字、トラン

プなどを楽しんでいた。

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2016年1月 3日 (日)

南京・上海近現代史探訪

12月26日~30日まで、4泊5日の近現代史探訪に南京・上海に出かけ

ました。

三角屋根の船を模した侵華日軍南京大虐殺遇難同胞祈念館

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中国各地から見学に訪れる人々。

鋳象台には中国語と英文が刻まれている・・・

殺された息子が、生き埋めにされた夫が、帰ってくることはありません。

レイプされた妻は苦痛の中にいます。
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1937年12月13日、非人道的な虐殺が開始された。

非武装で無防備な民間人が逃げ惑う、唯一の希望は生き残ること。

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80代の愛する母に いそいで! 悪魔から逃げなくては!などと刻ま

れた鋳象がたくさん置かれている。

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私たちは、紀念館で副館長(左から4人目)と懇談する機会を得た。

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南京大虐殺について、日本語で下記のように記されていた。

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紀念館内は、豊富な写真・映像・資料が展示されていた。

足元の地下は、虐殺された中国民衆の墓地となっていて、折り重な

った骨が発掘されている。

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歴史の証人の足跡 銅板の道は、長さ40m、幅1.6m。南京大虐殺

の生存者222名の歴史証人の足跡を鋳造し、永遠の記憶をとどめる

ものとなっている。

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侵華日軍南京大虐殺遇難同胞祈念碑の前で記念写真

兵庫、名古屋、岐阜、東京③、埼玉からの参加者7名。

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眼下には虐殺現場の広場がひろがっている。その向こうには南京市の

ビルディング、アパート群が林立している。

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中国側の日本の侵略戦争や従軍慰安婦問題を認知する河野談話・

村山談話などについて写真が展示されていた。

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鄭和(ていわ)航海

鄭和(1371年 - 1434年)は、中国明代の武将。永楽帝に宦官として

仕えるも、軍功をあげて重用され、南海への七度の大航海の指揮を

委ねられた。この時代に世界に窓を開き交易をしていた。

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総統府

蒋介石は中華民国の政府主席になり南京に総統府を設立したが

1948年共産軍との内戦に破れ、台湾に逃れることとなった。

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孫文や蒋介石の執務室、会議室、中華民国の資料陳列館がある。

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12月1日にオープンしたばかりの南京利済巷慰安所陳列館

この日は休館日のため外からの見学となった。

壁には名乗り出た元「慰安婦」の人たちの顔写真が貼り出されていた。

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開館したばかりの南京利済巷慰安所旧跡陳列館

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館前には、日本兵にレイプされ、妊娠させられた「慰安婦」と、彼女に

寄り添って泣く2人の女性の銅像が置かれている。

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コーヒーショップで南京の大学生と交流

日本語を学ぶ謝宇辰(しゃうしん)、瀋暁非(しんぎょうひ)さん

日本はきれいで、日本人はやさしく、日本は大好き、と語ってくれた。

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中国の大学授業料は年5000元(1元=20円)と語り、日本の大学生は

ほとんどの人がアルバイトしているのがわからい?と語っていた。

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南京民間抗日戦争博物館で南京師範大学教授経盛鴻(けいせいこう)

氏のレクチャーを受けた後、記念に教授とツーショット。

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南京民間抗日戦争博物館は民間の博物館。経教授と共に前列左に

座る建設会社社長の呉先武(ごせんぶ)氏が建てたもの。

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2階部分の図書室や資料室

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南京城の城壁は、中国の近現代史、中華民国史、そして日本との

抗戦史を物語る。全長36キロメートルあったが、現在は21㎞と戦後

70年が経過するが、今だ復元されていない。

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中華門は日本の浅草のような雰囲気がある。

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受験に、健康に、安産に祈願に来る人は絶えないようだ。

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中山埠頭虐殺現場(長江河岸)の立つ碑

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この長江河岸は虐殺現場の一つだ。紅豚(海豚:イルカ)を見ることの

できる観賞地でもある。

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公園にもなっていて、中国政府の「公正」「法治」のスローガンの垂れ

幕が下がっていた。

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日本海軍特別陸戦隊司令部址

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魯迅公園にある魯迅墓の銅像

当時、虹口公園は射撃練習場だった。

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魯迅先生之墓

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魯迅記念館

1951年建立。新中国の初めての人物類の博物館。

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八字橋 中国軍と日本軍の三度にわたる激戦が行われた。

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上海四行倉庫抗戦紀念館

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四行倉庫内の戦闘がリアルに描かれている。

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倉庫の壁一面には無数の撃ち込まれた弾痕跡が残っている。

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宗慶齢故居

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宗慶齢と孫文は日本で結婚した時の写真。

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日本語で二人の結婚「誓約書」が展示されている。

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中国近代史とともに 波瀾の人生を歩んだ 宗靄齢、宗慶齢、宗美齢の

三姉妹。 長女は大財閥の御曹司・孔祥煕と、 次女は革命家の孫文と、

三女は軍司令官蒋介石と結婚。

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紹興公園

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日本人の梅屋庄吉象。梅屋は財政面で生涯孫文を支えた。

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2013年6月11日 (火)

友人のヨーロッパ一人旅 パートⅥ

友人の栗原さんのヨーロッパ一人旅は、前回のデンマークからノルウェー、スェーデンの北欧諸国に入り、そして最後はポーランドとなりました。栗原さんの写真とコメントを紹介します。

6/2-3  ノルウェー(オスロ)

モノリッテンの周りには人間のさまざまな生き様が描かれていた。

(モノリッテンとはオスロ市にあるヴィーゲラン公園の目玉の彫刻)

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いろいろと問題もあるノーベル平和賞だが・・・ノーベル平和センター

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オスロ港。ここからバイキングたちが出て行った。

(写真の人は栗原辰司さん)

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フロム鉄道から見たショース滝。すごい迫力coldsweats02

(ショース滝駅に停車しホームの脇から滝を眺めたものかな?)

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ソグネフィーヨルドの中をフェリーで時間をかけてゆっくり見た。

(ノルウェイの魅力を語るとき欠かすことのできない景色です。)

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ソグネフィーヨルドの山谷

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6/4-6 スェーデン(ムニラ、ストックホルム)

ムーランシリアン湖

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この船のレストランからの港の眺めは良かったがビールはいい値段であった。

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ノーベル賞100年を記念して造られたストックホルムのノーベル博物館

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王宮(左)も国会議事堂(右)も小さな島の中に

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ストックホルム市庁舎(1909-1923建設)も宮殿のようだった。

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6/6-10 ポーランド(ワルシャワ、クラフク)

古都クラフクにあるキュリー夫人の生家をキューリー夫人博物館にした。

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ワルシャワ歴史地区にあるポーランド王宮

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無名戦士の墓を衛兵が守り、炎で平和が永遠に続くように祈りが込められている。

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ワルシャワにあるショパン博物館。宮殿内部を改造して造られた。

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代々のポーランド王の居城、ヴァベル城。

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ヴァベル大聖堂。王宮と共に歴史地区を形成する。

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シンドラーのリストの舞台となったユダヤ人ゲットーがあったカジミエッシュ地区。

(「ゲットー」とは強制居住区のこと。ドイツ占領前までは自由居住区であった。)

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アウシュビッツ入り口の「働けば自由になる」の大ウソ看板

(ここは第一強制収容所であった。)

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今はのどかだが、70年前のここは地獄だった。

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多くの人たちが銃殺刑(虐殺)に使用された「死の壁」

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この鉄道引き込み線でユダヤ人たちはで殺人工場に運ばれた。

(「死の門」アウシュビッツ第2強制収容所)

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窓もトイレもない貨車に100人もの人たちが入れられ10日間も運ばれてきた。

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この下にガス室の一つがあり、毎日1000人もの人々が殺された。

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人灰が廃棄された場所

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3段ベットの最下段はコンクリート。冬は-20度にもなる冷たい床に直に寝かされた。

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栗原さんは、この旅の最後に、ポーランドのアウシュビッツを選んだ。

第2次世界大戦中にユダヤ人などの大量虐殺の舞台となったところだ。

ナチス・ドイツは隣国への侵略戦争やホローコストで600万人を殺害したといわれている。

そのナチスの蛮行の象徴であるアウシュビッツに正面から向き合ってきた栗原さんに敬意を表したい。

ドイツやヨーロッパでは戦後70年にもなるが“ナチス犯罪に時効はない”と、その戦争責任の追及の手はゆるめられていない。

その一方で、第二次大戦の東アジア太平洋戦争の国際的責任を問われた日本は、今尚、「靖国神社参拝」「従軍慰安婦」「侵略戦争肯定」「教科書」などの問題で、ことあるごとにアジア諸国ともめている。

日本人一人一人が、もう一度歴史を紐解き、その事実と真実に向き合い、二度と再び戦争を起こしてはならないという反省と決意をする必要があるのではないかと思う。

その上で、私は、今の憲法論議は必要なのではないかと思っている。

栗原さんは、11日に帰国の途に就き、12日明日には成田に到着する予定です。

栗原さん!本当にお疲れ様でした。

2013年6月 1日 (土)

友人のヨーロッパ一人旅 パートⅤ

サラエボ(5/19~5/20)

サラエボは - Sarajevoは、 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都です。

1914年にこの地で起きたオーストリア皇太子の暗殺事件(サラエボ事件)は、第一次世界大戦の発端となったことで知られています。

そして、ユーゴスラビア崩壊に伴う民族紛争、NATOの介入がありました。

写真はNATO軍による空爆の跡が生々しく残されていた。(ベオグラード駅付近)

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東方教会では最大規模の「聖サヴァ教会」

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カレメグダン公園で遊んでいた子どもたち

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セルビアでも新婚カップルに出会った。

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クロアチア(5/20~5/23)

クロアチア共和国は、東ヨーロッパ、バルカン半島に位置する共和制国家です。

本土は西にスロベニア、北にハンガリー、東にボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアと国境を接し、ここでも「クロアチア紛争」がありました。

プリトヴィツエ湖郡国立公園の樹陰の濃さ、深さに驚かされます。

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ブルーの川の流れは滝を生み、水しぶきをあげて流れ落ち、その景観は一枚の絵のようです。

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屋根のスレートはカラフルなモザイク模様で美しい「聖マルコ教会」

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「失恋博物館」入口。どんな資料を収集し展示しているのか興味があるところです。

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座ったままでのバレーボールの試合。いろんな工夫があるものです。

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スロべニア(5/23~5/26)

スロベニアは西はイタリア、北はオーストリア、南や南東はクロアチア、北東でハンガリーとそれぞれ国境を接している人口205万人の国です。

断崖の岩の中に建てられた洞窟の城

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湖畔の崖の上に立つブレット城

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小島「ブレット島」に建てられた「聖母被昇天教会」

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ユリアン・アルプスが姿を見せてくれた。

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オーストリア(5/26~5/27)

ザルツブルグに向かう車窓から見たアルプスの景色

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サウンドミュージックの舞台となった場所

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天才モーツワルトの生家

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崖の上に建つエンザルツブルク城塞

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ドイツ(5/27~5/31)

再び、栗原さんはドイツに戻り、さらにデンマークまで足を延ばしています。

世界最古の社会住宅とされるフィガーライ

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ハイデンベルクの景色

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ハイデンベルクの城

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ブレーメンのマルクト広場に立つローラント像は平和と権利のシンボルで世界遺産の一つになっている。

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かつての塩の倉庫で、ここからヨーロッパ各地に塩が運ばれた(リューベック)

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デンマーク(5/31~6/2)

コペンハーゲンの港防御のために造られたカステレット要塞

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ドイツ占領から救ってくれたチャーチルへの感謝を込めて名付けられたチャーチル公園。

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チポリ公園の裏門はなぜか東洋風だった。

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2013年5月19日 (日)

友人のヨーロッパ一人旅パートⅣ

栗原さんは、その後、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアと崩壊した「旧社会主義国」といわれる国々を歩いています。それらの国々が、今どうなっているのか興味があるところです。

5月6日~9日ハンガリー

ドナウ川からのブタペストの夜景はきれいです。滔々と流れる川は、名曲「美しき青きドナウ」を産み出しています。このクルーズに乗った栗原さんは旅情を味わったのではないでしょうか。

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ドナウ川岸にそそり立つ岩山「ゲーレートの丘」頂上のドイツからの解放を記念してソ連が建てた女神像。ブタペストに行ったら立ち寄って欲しいスポットといわれています。

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13世紀に建設されて以来ハンガリーの歴史の中心だった王宮

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「社会主義時代」の秘密警察の実態を暴く「恐怖の館」

東欧諸国の「旧社会主義国」の人々は、戦前はナチズム、戦後はスターリズムの支配体制の下で多くの人たちが苦しめられ犠牲になってきました。

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国家秘密警察時代のおびただしい犠牲者の写真が貼られていた。

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中央市場の物資は比較的多く出回っている様子です。人々の服装も自由と解放感が感じられます。それでも西ヨーロッパとは、少し雰囲気の違いが感じられます。

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ブタペストにも生協の店があった。協同組合としての生協がどんな役割を果たしているのか知りたいところです。

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ブタペストの北にあるセンテンドレの最古の教会。

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その教会で声を掛けてくれた母娘の親子。どんな会話が交わされたのでしょうか。「一期一会」の旅の良い思い出になったことでしょうね。

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5月10日~14日ルーマニア

チャウシェスク独裁政権のもとにあったルーマニア

彼は「国民の館」と称する独裁政権の館を建てた。

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その館の前は、パリの「シャンゼリ通り」に真似てチャウシェスクが造らせた「統一大通り」が走っている。

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チャウシェスク独裁政権を倒した1989年の革命の際の犠牲者を追悼する碑

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革命軍はこの国営TVを占拠したことで自分たちの情報を流すことができた。

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トゥンパ山頂上で遊んでいたルーマニアの若者たち。

彼らは革命前と革命後の自分の国をどのように思っているのだろうか。

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ドイツ語学校の生徒たち。

彼らは何を学び、どんな人間になりたいのだろうか。

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1989年の革命による体制の転換によって政治・経済のあり方は大きく変わりました。

EU加盟及びNATO加盟に加わったことで

国民生活がどのように変化したのかを知りたいと思っています。

5月15日~18ブルガリア

12世紀~14世紀のブルガリア宮殿の跡

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宮殿周辺の丘にも城壁の跡がありバルカン半島全体を支配するほど繁栄していた。

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繁栄した時代に造られた「聖ペテロ・パウロ協会」。内部の聖職者の絵などが洗練され鮮やかだった。

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ヴェリコ・タロノヴォの栄光時を提示する民族復興期博物館

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「ブルガリアの母」像

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ブルガリアは日本の青森県とほぼ同じ経済規模。1989年の東欧諸国の社会体制の転換にともなってソ連を中心とした東欧の市場喪失が大きな打撃となり、生活水準は1989年以前の約40%にまで落ち込んだという。その後、EU加盟のことなどを耳にしているが、今のEUの状況を考えるとブルガリア経済が大きく回復したとは考えられない。




2013年5月11日 (土)

友人のヨーロッパ一人旅 パートⅢ

友人の栗原さんは、その後、ドイツ、チェコ、オーストリアの旅を続けています。

何回か訪問した国々ですが写真を見ていると再び訪問したい気持ちになります。

●ドイツ(4月26日~29日)

ドイツはベルリン、ポツダムを見てまわっています。

TVの中に隠れて東から西に脱出した様子を伝えるディスプレー

冷戦時代の東側の圧政下から自由を求めて脱出する人々が後を絶ちませんでした。

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ティーアガルデンは東西3kmという広い公園。

大都市ベルリンの緑のオアシスといったところでしょうか?

休日ともなれば人々の憩いの場として親しまれています。

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ナチが何をしたかを明らかにする「テロのトポロジー」

ドイツの戦後は戦争責任を明確にすることから始まりました。

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ナチが放火した後はガラス張りのドームになっていた連邦議会議事堂

屋上に造られた半円型のドームは観光客に人気があります。

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ベルリン大聖堂。圧倒的な存在感を示しています。

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ポツダム宣言が採択されたサンスーシ宮殿前に立つ栗原さん。

.1945年7月26日にアメリカ、イギリス、中国の首脳名で日本に対して発せられ、

「日本軍の無条件降伏」等を求めた全13か条が決められました。

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戦争と暴力支配者の犠牲になった人々の慰霊館

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フレデリック大王が贅の限りを尽くしたサンスーシ宮殿

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●チェコ(4月29日~5月3日)

「火薬門」前でチェコの女性たち。足が長くて長身ですね。

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一枚の絵ハガキのようなカラフルな街チェスキー・クロムロフ

何か、時の止まった町は独特な雰囲気があったことを覚えています。

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スメタナに抱かれたチェコのイケメン

残念!これではスメタナの交響詩「わが祖国」は聞こえて来ないな。

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チェコの若者たち

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とんでもなく高い城壁のチェスキー・クロムロフ城

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ローマ教会の堕落を批判して火刑にされたヤン・フスの象

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1968年ソ連軍の侵入によるチェコの自由化路線を弾圧し、20年後に

100万人の集まって「ビロード革命」を成し遂げた「ヴァツラフ広場」。

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ドボルザーク資料館。

私の好きな「新世界」の曲を聴けたら最高ですね。

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プラハ宮殿は重層的で迫力、味わいがあります。

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プラハのモルダウ川にかかる重量感あふれる美しい石橋「カレル橋」

王宮と旧市街地をつなぐ橋で600年間も使われています。

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国立マリオネット劇場で「ドンジョバンニ」を観劇した栗原さん

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役人殺害の報復に何百人の村人全員を、男は殺害し

女性と子どもは収容所に送られた。そのモニュメント?

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●オーストリア(5月3日~6日)

広大で建物も立派だった美術史美術館

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美術館内部の装飾も豪華絢爛だった。

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モーツワルトが住み「フィガロの結婚」を作曲した家

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シューベルトは偉そうに座っていた。

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ヨハンシェトラウスは別格扱いの黄金?の像。

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楽聖ベートベンらしく像の下には戦いと喜びの神々

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呼び込みが旅行者を漁っていた国立オペラ座

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ナポレオン・ボナパルト失脚後のヨーロッパを議した1814年のウィーン会議の舞台

「会議は踊る、されど進まず」と評された。オペレッタ映画にもなった。

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シェーンブルン宮殿の庭園は広大だった。

ここは映画「サウンドミュージックの舞台」にもなったところだ。

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ヴァッツハウ渓谷クレムスの街

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遊覧船から点在する美しい古い街の眺め。

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10世紀からの歴史があるメルク修道院

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2013年5月 6日 (月)

友人のヨーロッパ一人旅 パートⅡ

パートⅡの最初は、●4月20日~23日のベルギーの首都ブリュッセルです。

ブリュッセルは人口約100万人の「小パリ」といわれる街です。

EUやNATOの本部をはじめ各種の国際機関があることで知られています。

写真は「世界で最も美しい広場」といわrているグランプレス(ブリュッセル)

「鐘楼」から見たブルージュ市内
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ブルージュ市内を流れる運河
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世界遺産にも登録された白壁の「ベギン会修道院」
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西洋画で見たような川のほとりの芝生の親子(ブルージュ)
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●続いて、4月23日~26日のオランダをお伝えします。
「アンネフランクの家」博物館の前に立つ栗原さん
アンネが第2次大戦中に隠れ住み『アンネの日記」を書いた家。
平和の大切さを強く訴えかけてきます。
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ハーグ陸戦条約が採択されたのを機に建設された「平和宮」
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政党の集会、デモ行進が行われていた。
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監獄の実態を明らかにしている監獄博物館
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運河が張り巡されているアムステルダムはかつてチューリップ・バブルであった。
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2013年4月23日 (火)

友人のヨーロッパ一人旅 パートⅠ

千葉に住む友人の栗原さんが3月26日からイギリス、アイルランド、フランス、ベルギーとヨーロッパ一人旅の冒険に出かけています。そんな彼からメールでの便りが届きました。栗原さんの了解を得て、彼の旅の一端をご紹介させていただきます。

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イングランド北部に位置し雄大な自然と牧歌的な風景が広がる湖水地方はイギリスを代表する観光エリアでピーターラビットの世界がそのまま残っています。私も2年前に、この地に訪れ、その景観の美しさに感動したことを想い出します。

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バッキンガム宮殿は美しい公園に囲まれた英国王室の宮殿です。ここでの衛兵交替式はロンドンの名物になっています。近くにはヴィクトリア駅、大英博物館、セントポール大聖堂、ロンドン塔、自然史博物館などがあります。20数年前に宮殿近くのホテルに泊まりジョッキングしたこともあるのですが・・・今は怠惰になってだめですが・・・。

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4月4日イギリスからアイルランド入った栗原さんは、ダブリン、キラニー、ゴールウェイなどを訪れ旅を楽しまれました。アイルランドの首都ダブリンはアーティストが集う活気あふれる街です。美しい景色に街中のレストラン、パブが軒を連ねています。

(下写真はダブリンのダンス酒場でアイリッシュダンスを踊る人たち?)

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キルメイナクムの刑務所跡

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フォッサクロス

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フォッサクロス。

水仙のような黄花、その後に牧草地、そして戸建ての家々の様子がうかがえます。

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ホッサクロス附近。

馬が放牧され、眼下には街並みでもあるのでしょうか、

そして、半島の入り江なのか、湖水なのか、のどかな光景がひろがっています。

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ゴールウェイ・アラン諸島

ゴールウェイはケルト文化を色濃く残したアイルランド西部の中心都市です。

ブルーエメラルドの海岸線が輝くようにひろがっています。

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モハーの断崖

海抜200mの断崖絶壁が8㎞にわたって続いています。

そのダイナミックな景観は足がすくむほど迫力満点です。

雨あがりの断崖の歩道を時間が許す限り歩いたことを覚えています。

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ケリー周遊ツアー

前方を見る青年がポニー(?)を抱え、彼の右手の紐先にはヤギがチェアの上に、

そして、ポニーのような馬の背のバスケットの中には犬が前方を見ています。

のどかな農村風景が、この写真のアングルの中にしっかり織り込まれています。

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フランスではパリに3泊した栗原さんは旺盛に各地をめぐり旅を楽しんでいます。

海岸を2時間かけてモンサンミシェエルまで行くツアーに参加した栗原さん

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モンサンミシェル近くの風景。ハニー色の家々の趣が素敵です。

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栗原さんの肩に凱旋門が重く圧し掛かるかのようです。

はい!この方が栗原辰司さんです。

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ルーブル美術館のミロのビーナスの前に立つ栗原さん

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パリの地下鉄構内でバッハが聴けたとのことです。

地下構内は意外に音響効果があっていいのかもしれません。

それに聴取者と生演奏のコラボレーションは最高かも?

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ヴェルサイユ宮殿。ルイ14世が建造した宮殿で有名です。

フランス絶対王政の象徴として贅を尽くして建てられました。

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その後、栗原さんは南フランスに向かい、4月20日以降はベルギーに旅をすすめています。その後の状況はわかりませんが、冒険心に富んだ一人旅を楽しんでいることと思います。栗原さんからの新しい情報が入ったら、また、お知らせします。