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震災

2015年3月26日 (木)

宮城・福島被災地 視察・交流の旅

震災後3回目となる宮城・福島の被災地を訪問してきました。

3月22日(日)

●日和山(ひよりやま:6.3m)

宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区

津波の高さは9メートルにも及び、山頂を乗り越えて内陸部5㎞に及びました。

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日和山の頂上に設けられた社務所には多くの人々が花や線香を手向けていました。

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●閖上(ゆりあげ)の記憶

自分たちが確かに生きてきた「記憶」を整理するための場所として設置されました。

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閖上の記憶(プレハブの資料館)のなかで、案内人の上条さんより閖上地区の

被災状況の説明を受けました。

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旧閖上中学校の時計は地震発生時の午後2時46分で止まったままです。

その一時間後の午後3時52分に津波が押し寄せ、学校の一階部分を飲み込みました。

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玄関口の松の前には遺族会が建てた慰霊碑の社務所が置かれています。

全校生徒154名中14名の生徒をなくしました。

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この中学校は、3年から1年までの全校生徒の参加で卒業式を行っていました。

生徒たちの想い出がいっぱい詰まった学校だったと思います。

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●仙台文学館

初代館長は井上ひさし。宮城県ゆかりのある近代文学資料を収集展示しています。

井上ひさし資料特集展「俺達(おらだ)の国語ば可愛(めんこ)がれ」を鑑賞しました。

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「むずかしいことやさしく やさしいことをふかく

 ふかいことをゆかいに ゆかいなことをまじめに書くこと」(井上ひさし)

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劇作家としての井上ひさしは

「芝居の目的は舞台の上に人生の真実を作ることです」と語っています。

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午後から東京大学教授小森陽一氏による講演がありました。

テーマは「井上ひさしの世界と3・11以降の被災地・日本」です。

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講演終了後、文学館の赤間亜生学芸室長と小森陽一さんとの対談がありました。

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お二人は井上ひさしの「方言」へのまなざしを熱く語り合いました。

  「わたしはただ、ひろく通用する言葉にどうしたら小さな共同体の言葉の

 持つ濃密な表現力を盛り込めるかと考えている夢想者の一人にすぎません

                                      (「前口上」the座5号より)

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この日は、仙台市内のホテルにチェックインし居酒屋で夕食交流をしました。

3月23日(月)

●農事法人浜通り農産物供給センター

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センター内で、案内人三浦広志さんから近隣農家が生産した米の全袋放射能検査

についての説明を受けました。

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福島県の放射性物質検査済証が貼られている米袋

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隣接して浜通り農民連の直売所「野馬土(のまど)」があります。

夏祭り・相馬野馬追の地で、遊牧民(ノマド)に思いをはせ、世界に開かれた窓として

野窓をめざす、という意味で「野馬土」としたとのことです。

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●相馬市総合福祉センター

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早咲きの桜が五分咲きを迎えていました。

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放射能測定モニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム)は、

0.202マイクロシーベルトを表示していました。

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●相馬から国道6号線を南下して、南相馬-浪江-双葉-再び相馬に戻りました。

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白い塀の中は瓦礫の山、焼却し灰にし、少しでも体積を少なくするのだといいます。

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除染された土壌が収められている黒いフレコンバック。放射線濃度は高いが、

住む人はいないのだろうか、住宅の間に置かれています。

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●浪江町役場庁舎

浪江町の沿岸部は地震と津波で壊滅的な打撃を受けています。

原発事故による放射能汚染で、ごく最近まで手付かずの状態でした。

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庁舎に隣接して高い塀があり、そこは除去土壌の保管場所になっていました。

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その表示看板。

町内は、どこもかしこも瓦礫や土壌の保管場所になっていました。

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庁舎内には帰町準備室が設けられ住民帰還の受け入れ準備が始まっています。

お年寄りは帰りたい、若い世代は仕事や子どものことで帰りたくとも帰れない、

現実があります。町の再建はできるのか、できないのか、深刻です。

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庁舎前(裏)の国道114号の帰還困難区域の注意看板

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荒野には津波で手付かずで残されている建物

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民家の庭先には除染作業中のピンクの旗が立っていました。

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除染された土壌がフレコンバックに詰められ畑に山積みにされています。

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このフレコンバックが各地に置かれていましたが、その後は仮置き場に30年、

その後は最終処分場で保管されることになっています。

そんな玉虫色の決まりを誰が信じられるだろうか?

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小高工業高校?の仮校舎。多くの小中高の仮校舎を目にしました。

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煙をあげているのは東電の火力発電所(相馬)

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松川浦大橋は工事用トラックしか通れません。

港や橋、道路は優先して復旧がすすんでいますが、肝心な人々の生活と生業は

見通しがたっていません。政府からは自助努力を求められる被災者たち。

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今日の宿の前には、相馬市の松川浦漁港がひろがっています。

漁船の往来はなく、休業中です。

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漁港にも瓦礫を納めたフレコンバックが置かれていました。

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この付近は一二階が浸水にあい大きな被害を受けています。

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前夜泊まった宿の女中さんたちがツアーの私たちを見送ってくれました。

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3月24日(火)

●大野台の仮設住宅を訪問しました。

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集会所

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自治会長の北原庄司さん(左)と手渡さん(中央)からお話をお聞きしました。

北原さんは「5人での暮らしであったが、みんな別れ別れになって、今は2人での生活に

なってしまいました。TVで常磐道開通、北陸新幹線開通と騒いでいますが、

私には何も関係はありません。村全体が家を出て、村には誰もいません」と

静かに寂しそうに語っておられました。

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●あぶくま法律事務所前で行われた「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」

福島原発訴訟の集会に参加しました。原発事故の被害に遭ったすべての人々が

原発におびえることない生活を取り戻すことが目的です。

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福島県内各地から集まってきた訴訟団の人々

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同志社大学大学院教授の浜矩子(はまのりこ)さんも応援に駆けつけました。

(中央、マイクを持つ女性)

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NHKのキャスターをしていた堀j潤さんも駆けつけました。

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オシドリ漫才もかけつけ、「原発反対といったら仕事に干されてしまった・・・

“我々の生業も返せ”」軽妙に語りと参加者の笑いを誘っていました。

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あぶくま法律事務所前から福島地方裁判所前までデモ行進が行われました。

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福島地方裁判所前で訴訟原告団・弁護士たちの入廷を見送りました。

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●午後から福島文化センターで行われた浜矩子さんの講演会に参加しました。

浜さんは「原発再稼働で日本経済はよくならない」と題して講演しました。

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帰りの福島駅の新幹線ホームでは、横断幕で見送る駅員の人々。

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「フクシマを風化させてはならない」「再稼働は許してはならない」

そして、福島の人々の生活と生業を成り立たせるための支援をさらに強めることが

必要になっていることを強く感じて帰って来ました。

2014年7月21日 (月)

大雪被害の深谷、いまだ12.4%

7月17日付の埼玉新聞によると・・・埼玉県は15日、2月の大雪被害から5カ月を経過し

た農業用ハウスの復旧状況を発表しました。

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14日現在、県内被害施設(計330.2ha)の撤去率は83.1%、

再建対象となる施設の再建率は再建完了と進行中を含めて21.1%にとどまる。

農業支援課は「資材はまわり始めたが、ハウスを立て直す作業員が足りない状況が

続いている。年度内にはすべての対象施設の再建着工までいきたい」としている。

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市町村別でみると・・・

本庄市は36%(再建面積19.4ha)、秩父市51%(同3.9ha)、寄居町41%(同3ha)

に対して、深谷市12.4%(110ha)と大きく立ち遅れています。

わが家のまわりの農業用ハウスのほとんどは手付かずか、

この7月になって一部で撤去が始まったばかりです。

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国や埼玉県・市の対応が余りにも遅すぎます。

これでは離農する人たちが増え、農業への展望はうまれません。

1日も早い撤去と再建に力を注いでほしいと思います。

2013年8月 1日 (木)

被災地応援ツアー

福島に故郷を捨てさえない 

勇壮華麗な相馬野馬追&被災地応援ツアーに

7月27日(土)~29日(月)にかけて出かけてきました。

<南相馬市小高区>

“海があって、川がって、山があって、とてもいいところよ、

お魚もおいしく、野菜もおいしくてね”と語っていた南相馬の人。

南相馬小高区の海岸線側は見渡す限りの「荒野」が広がっています。

地震による津波、原発の影響下で、時が止まったままです。

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地元の案内人渡部寛一さんにご案内いただきました。

荒れるがままの田畑が広がる中に、軽トラック、自家用車、漁船が、

なかには消防車、住宅があちこちで散乱している状態です。

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行き場のない瓦礫の山を各所で見かけました。

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新築したばかりと思える住宅は汚染され、住む人もなく荒れるがままです。

原発20㎞圏内の警戒区域に入ることはできても住むことはできません。

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漁協の事務所も津波にやられれたままです。

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こうした漁船があちこちに無数に横たわっています。

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海岸線にあった松林は、この二本松だけが残されました。

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一部では放射能汚染の除染が行われていました。

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<浪江町 希望の牧場>

福島第一原発から北西へ14Kmの地点に約30haの牧場を持つ「希望の牧場。

事故発生前、牛約3500頭、豚約3万頭、鶏約44万頭が飼育されていました。

事故後、その過半数が餓死し、生き残った家畜は刹処分が実施されました。

牛は、餓死でもなく、刹処分でもない、第三の活かす道を望む約20件の農家が

現在は350頭の被ばく牛を飼育続けています。

(中央、希望の牧場代表 吉沢正巳さん)

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売り物にならない牛たち、見捨てられた命、原発の生き証人としての牛たち・・・

家族の一員として育てられた命、その命が全うするまで飼育していこうと

希望の牧場の人たちは決意しています。

(絶望の中の無念の声、決死の覚悟が読み取れます。)

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一頭の牛が私の近くまで来て、立ち止まり、悲しげな眼で私をじっと見つめていました。

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<県立松川浦周辺>

県立公園松川浦。震災前はあさりや海苔の養殖場として、

また、海水浴場として賑わっていたところです。

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磐梯マリーンの事務所は基礎1m程嵩上げされて建てられています。

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新築された住宅内の神社も高く嵩上げされ鳥居よりも高くなっています。

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再起を目指してオープンした新築の旅館

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7月27日の宿は、旅館かんのや

内海の浜からは6~7mの津波が押し寄せ、従業員は3~4階に避難したとのことです。

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旅館の基礎のコンクリートには赤テープのマークがしてあります。

80㎝程地盤沈下した道路を、海面より1mの赤マークまで嵩上げ工事をし

その後、旅館の駐車場も道路の高さに合わせて整備する予定とのことです。

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朝の散歩がてら、松川浦の漁港まで足を延ばしました。

震災まであれば、朝の魚の水揚げで賑わっていたであろう漁港は、

人の気配もない静かな世界がひろがっていました。

漁民たちの多くは、漁に出ることができなく、浜の瓦礫の片付けで、

食いつなぎ、時間を費やしているとのことでした。

<ふくしま復興共同センターの取り組み>

子どもを持つ母親の立場から子育てやフクシマの今を語っていただきました。

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原発の廃炉を求める請願運動や県や市や教育委員会などと懇談を重ねるなど

子どもたちを放射能被害から守るための活動が報告されました。

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<さくら保育園の取り組み>

福島市渡利地区のさくら保育園を訪問し

園長の齋藤美智子さんからお話をお聞きしました。

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専門家と父母と連携して、除染や散歩コース線量マップ作成の取り組みを通じて、

放射能のリスクと向き合い、子どもたちの安全を第一に保育園運営されていました。

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震災後、2年4か月が経過しました。

今尚、福島は地震・津波・原発・風評被害のなかにあって苦悩しています。

しかも、政府の「終息宣言」とマスコミ報道が少なる中で

人々の関心も少なくなり、この東日本大震災、福島の原発事故

が風化してしまうのではないという危惧さえあります。

今、福島は、驚き、恐怖、混乱、悲しみを受け入れなければならない日々

それを乗り越えなければならない日々が続いています。

2011年12月 1日 (木)

被災地レポート⑤~復興の動き

気仙沼市で飲食店やお土産店が軒を連ねるプレハブ造りの仮設店舗、復興屋台付気仙沼横丁がオープンしていました。Cimg1538

その一角には復興支援室がありました。Cimg1543_3

全国チェーンの仮設店舗もオープンし、スタッフを募集していました。Cimg1600

気仙沼に寄港したカーフェリー客船のデッキには横断幕が張られていました。Cimg1578

1泊2日の駆け足の被災地、気仙沼市・南三陸町訪問でしたが、これから寒い冬へと移る中ですべての被災者が一日も早く安心して暮らせるように支援することを国に求めるとともに、自分のできることで応援していきたいと思っています。

被災地レポート④~南三陸町

寺の新しい建物の土台は崩壊状態、境内の石像や墓は流されていました。Cimg1591_2

寺の境内から浜までは津波にすっかり飲み込まれ赤い平地だけが残っていました。Cimg1592_10

JR気仙沼線はコンクリート製の鉄橋がズタズタに切断されていました。Cimg1597_5

アパートの屋上にまで津波は押し寄せ1台の乗用車が取り残されていました。Cimg1601_3

3階建ての公立病院は廃墟となって生々しく残されています。ここに入院・通院していた人たちを津波から避難させること、運ぶこと、脱出させることはできたのでしょうか。Cimg1603_3

川を津波は遡上し、家屋を破壊し、また、遡上し、破壊していきました。Cimg1604_2

実際の津波は、押し寄せ、引き潮の、二の波、三の波と繰り返し襲ったのです。

 

被災地レポート③~気仙沼市

旧気仙沼市街地は海岸線に沿って壊滅的な被害を受けていました。Cimg1586

津波が市街地深く押し寄せ壊滅的な打撃を与えたことがわかります。彼方の湾に向かう直線的道路の左右は一部の鉄筋コンクリートの建物を残して更地状態となっていました。Cimg1588

気仙沼市だけでも死者1,023人、行方不明者359人、住宅被災棟数15,103棟、被災世帯数9,500と甚大な被害に遭っています。Cimg1596

周囲の建物は撤去され、この信用金庫の建物の残骸だけがポツリと立っていました。Cimg1590

これから被災地は厳しい冬を迎えますが、住宅だけでなく工場や港の再建など急ぐ必要があります。自治体任せにすることなく国の責任での復旧・復興と、私たち国民としてできることで支援を強めていく必要があると思います。

2011年11月30日 (水)

被災地レポート②~気仙沼大島

陸中海岸国立公園の中にある気仙沼大島は素晴らしい眺望を見せています。Cimg1570_2

亀山の頂上から見た手前の汽船発着所のある浦の浜、その向こうに見える気仙沼の市街地は津波に飲み込まれ白い平地となって見えます。
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浦の浜港と田中浜、浅根漁港と小田ノ浜の間でぶつかる津波の衝撃波は、島を3つに分断しながら飲み込みました。

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島の人たちは、『島は四方を囲まれ、逃げ場がなく、地獄絵図をみるようであった』と話してくれました。

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島は地震による津波だけでなく、コンビナートの火災の影響も受けたのです。島人は『水と火にやられた。一番怖かったのは火事だった』とも話してくれました。

 

被災地レポート①~気仙沼大島

東日本大震災から8ヶ月が経過します。亡くなった方と行方不明者は2万人、いまも多くの人々が不自由な生活を強いられています。11月21日被災地を訪れました。写真は気仙沼大島にある休暇村。この9月まで島民の避難場所として使われました。Cimg1548

気仙沼湾に浮かぶ周囲約22㎞の大島は緑豊かで温暖な気候に恵まれた風光明媚な島です。紅葉した木立の向こうには気仙沼湾と気仙沼市が見えます。Cimg1546

高台にある休暇村の直下には海浜植物の群生地の田中浜が広がっています。Cimg1554

この白い砂浜も地震による津波で飲み込まれ、島の体験館などの施設や松林を喪失していました。

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田中浜の隣接地は、今度の震災の瓦礫の一時的仮置き場となっていました。島全体から運ばれた瓦礫は仮置き場に分別され、うずたかく積まれていました。Cimg1556

壊れた建物の端材の山がうずたかく積まれていました。Cimg1558_5

冷蔵庫、洗濯機などのありとあらゆる電化製品が無造作に積まれていました。Cimg1559_5

無残に歪んだ車両の台数は300台は超えていました。Cimg1561_2

こうした瓦礫の処理を自治体任せにせず、国が責任を持って進めることが復興の第一歩です。その処理費用を国が負担し、代行できる法律がようやく成立しましたが、その実行が一日も早く求められます。